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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)1985号 判決

第一審原告(第一九四〇号控訴人・第一九八五号被控訴人) 八木米作

第一審被告(第一九四〇号被控訴人・第一九八五号控訴人) 大木合資会社

第一審被告(第一九四〇号被控訴人) 飯野一男

主文

一、第一審原告の第一審被告飯野一男に対する本件控訴及び当審における新たな請求はいずれもこれを棄却する。

二、第一審原告と第一審被告大木合資会社間の原判決を次の通り変更する。

(一)  第一審被告大木合資会社は第一審原告に対し別紙目録記載の室の明渡をせよ。

(二)  同第一審被告は第一審原告に対し

(1)  金一七、六二五円及びこれに対する昭和二九年一〇月二〇日以降完済に至るまで年五分の割合による金員

(2)  昭和二九年八月三日以降昭和三一年一二月一二日まで一ケ月金一、八九〇円の割合による金員

の各支払をせよ。

(三)  第一審原告の同第一審被告に対するその余の請求はこれを棄却する。

三、第一審原告と第一審被告飯野一男間の控訴費用は第一審原告の負担とし、第一審原告と第一審被告大木合資会社間の訴訟費用は第一審において生じた部分はこれを二分し、その一宛を第一審原告及び同第一審被告の各負担とし、第二審において生じた部分はこれを三分し、その一を第一審原告、その余を同第一審被告の各負担とする。

四、本判決第二項(一)及び(二)は仮にこれを執行することができる。

事実

第一審原告(以下単に原告と記載)訴訟代理人は昭和三一年(ネ)第一、九四〇号事件につき「原判決中原告敗訴部分を取消して、原判決を次の通り変更する。第一審被告(以下単に被告と記載)等は原告に対し別紙目録記載の室の明渡をせよ。被告大木合資会社は原告に対し金四八、一二五円及びこれに対する昭和二九年一〇月二〇日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。また被告等は各自原告に対し昭和二九年八月三日から前記室の明渡済に至るまで一ケ月金一、八九〇円の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審共被告等の負担とする」との判決並に仮執行の宣言を、昭和三一年(ネ)第一、九八五号事件につき控訴棄却の判決を各求め、被告大木合資会社訴訟代理人は昭和三一年(ネ)第一、九八五号事件につき、「原判決中同被告の敗訴部分を取消す。原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共原告の負担とする」との判決を求め、また被告両名訴訟代理人は昭和三一年(ネ)第一、九四〇号事件につき「原告の控訴及び当審における新たな請求はいずれもこれを棄却する」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠の提出援用認否は、原告において甲第一三号証第一四号証の一ないし五を提出し、当審における原告本人尋問の結果を援用し、乙第六、第一〇号証はいずれも成立を認めるが同第七ないし第九号証の成立は不知であると述べ、被告等において乙第六ないし第一〇号証を提出し、被告飯野一男本人の当審供述を援用し、甲第一三、第一四号証は成立を認めると述べ、なお双方において次に記載の通り主張し、また原判決の事実摘示中、原告の請求原因事実のうちに、被告会社が原告に対して本件室の明渡の強制執行をした日が昭和二九年六月二三日と記載せられているのは同月三日の誤記であるからこれを訂正する外は、原判決の事実摘示の通りであるからこれを引用する。

(原告の主張)

一、原告は被告等に対し本件室の明渡を求めるものであるが、この請求は、第一次的には原審以来主張している占有権に基き占有回収としてこれを求める。

被告等は私人の実力行為でない国家機関のなす執行行為については、それが違法と認められる場合であつても、占有権による救済は求め得ないと主張するが、民法の規定からいつても、占有の侵奪は故意によると過失によると、また私人たると公人たるとを何等区別していないのであり、またこれを区別すべき理由もないのであるから、占有の奪取が強制執行の方法によつてせられた場合においても、それが違法である限り、占有回収によつてその回復を図り得るものというべきである。

被告飯野一男は本件室のいわゆる第二次の賃借人であるが、第一次の賃借人であり右の室を占有していた原告から適法にその占有の移転を受けることなくして、これを占有しているものであるから、同被告もまた占有侵奪者というべきである(大審院大正八年五月一七日判決参照)。また仮にそうでないとしても、同被告は被告大木合資会社の原告に対する本件室の明渡の強制執行が違法であることを十分知りながら、同被告会社からその占有の移転を受けこれを占有しているものであるから、民法第二〇〇条第二項但し書により原告からの占有回収を拒み得ないものである。

二、原告は被告等に本件室の明渡を求める原因として、当審において新たに次の第二次的請求原因を附加主張する。

(一)  原告に対する被告大木合資会社の本件室についての賃貸借契約の解除が違法であつて何等の効果をも生じ得ないことは既に主張の通りであり、従つて原告は依然として右室の賃借人であつて、被告会社は賃貸借契約上の義務として右室を原告に引渡しこれを使用収益せしめる義務がある。よつてその義務の履行として被告会社に対し右室の明渡を求める。

(二)  建物の賃借人が建物の引渡を受けたときは、爾後その建物につき物権を取得した者に対しその賃借権を対抗し得ることは借家法の規定するところであり、この対抗力については、建物の第一次の賃借人は第二次の賃借人に対してもなおこれを有するものと解するのが相当である。そしてこの対抗のためには、占有の継続が必要であろうが、占有が賃借人の意思に反して侵奪されているような場合には、たとえ現実には一時的にその占有が失われているとしても、なおその対抗力を失わないものと解するのが相当であるから、原告は本件室の賃借権を以てなを被告飯野に対抗し得るものというべきである。よつて同被告に対しても第二次的に賃借権に基いて本件室の明渡を求める。

三、被告会社は原告が賃借権を有する本件室を昭和二九年六月三日強制執行の方法によつて原告の占有を侵奪して以来これを原告に引渡さず、賃貸人としての義務履行を怠つているものであるから、これによつて原告の蒙る損害を賠償すべき義務があることはいうをまたないところである。

被告飯野は、原告から同被告に対し「被告会社の原告に対する本件室明渡の強制執行は不法であるから、原告の借室を借りないようにして貰いたい」旨懇請したのに、同被告はこれを斥けて右借室を借用居住するに至つたものであるから、原告に対し、被告会社と同一の責任を負うべきであり、仮にそうでないとしても、原告は被告会社に対し、被告会社の不法な強制執行に対する対抗策として昭和二九年六月一五日東京地方裁判所から「本件の室について原告の使用を許す」趣旨の仮処分の決定を得てその執行に着手し、被告飯野にも右室の明渡を求めたのであるが、同被告はこれを斥け、爾来原告の本件室の借室権を侵害しているものであるから、右借室権の侵害によつて原告の蒙る損害を賠償すべき義務がある。

四、損害額につき

(一)  原告は当審において損害賠償として、被告大木合資会社に対しては金四八、一二五円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金、被告両名に対し昭和二九年八月三日以降本件室の明渡済に至るまで一ケ月金一、八九〇円の割合による金員の各支払を求めるものであるが、被告会社に対する右金四八、一二五円は、原告が望月安久夫に支払つた金三〇、五〇〇円と、昭和二九年八月三日以降賃借居住した有楽荘アパートの六畳一室に対する権利金二三、五〇〇円の内の四畳半の部分に対する一七、六二五円(原判決の認容した部分)との合計額であり、被告両名に対する右一ケ月金一、八九〇円の割合による金員も、右同様原判決で認容された有楽荘アパートの一室の賃料中四畳半の部分に対するものから本件室の賃料を差引いたものである。

(二)  原告は被告会社の違法な家屋明渡の強制執行に会つて昭和二九年六月三日から同年八月二日までは同じアパート内の望月安久夫方に同居させてもらい、同居料として三〇、五〇〇円を支払つた。右金員は一日五〇〇円の割合で支払つた金員であるが、建物明渡の強制執行を受けて、急場しのぎに隣人なり友人の世話になつて、その礼金を支払うことは通常あり得るところであり、現実の支払額が高いか安いかは別として、現実に支払つた以上これを損害額として賠償せしめるのが当然であり、仮にこれが高いとしても、少くとも客観的相当額を裁判所が認定してその賠償を命ずべきである。そして右望月に対する金員は、単に原告並にその家族が望月方に同居させてもらつたことに対するお礼という意味だけではなく、原告は、被告会社からの本件室の明渡の強制執行及び原告のこれに対する対抗策である被告会社に対する仮処分の執行について五回にも亘つて右望月の手伝いを受けたものであるから、右望月の労働力の提供に対する謝礼の意味をも加えたものであり、ことが火急の場合であつたことをも併せ考えれば、右金額はむしろ相当なものであつたというべきである。

(三)  被告等は本件不法な家屋明渡の強制執行の結果、たとえ原告がその移転先の家屋賃借のため権利金や闇家賃を支払つたとしても、その損害賠償請求の許されるのは、法規に許された家賃の部分についてだけであり、権利金は勿論、家賃も統制額を超過する部分については許されないと主張する。

しかし原告は被告会社から借家していた部屋を被告会社の不法な家屋明渡の強制執行のため明渡を強制せられ、住むに家なく、暫定的に望月安久夫方に寄寓し、さらに漸くにして三芳宗重郎所有の有楽荘アパートの一室の借用を為し得たものである。人は住家なくして一日もその生活を送り得ないことは経験則上明かであるが、住宅難の深刻性は当時も今も変りないところであつて、原告とすれば、家族をかかえて急場をしのぐために住居を求めてこれに居住せざるを得ないことは勢の免れざるところである。そして、かくの如くに原告を窮地に追込んだのは全く被告会社に外ならないのであるから、原告が住居獲得のため己むに己まれずして違法な権利金や闇家賃を支払つたとしても、これは全く被告会社の前記の不法執行のためであり、被告会社が原告をして右のような違法行為をせざるを得ざるに至らしめたものである。従つて原告の右権利金等の支払が違法であつても、その違法をせざるを得ざるに至らしめた被告会社はなおこれを賠償すべき責任を免れ得ないものというべきであり、地代家賃統制令に違反して支払われた権利金及び統制超過家賃は不法原因給付として受領者からその返還を求め得ないものと解すべきであるから、原告の支払額全額を損害として被告会社はその賠償の責があるものであつて、被告飯野一男また同様の責任を負担すべきである。

(被告等の主張)

一、原告は被告飯野に対し占有権に基き本件室の明渡を求め、その理由の一つとして同被告が「執行の違法であることを知りながら被告会社からその占有の移転を受けた」と主張しているが、ここにいう執行の違法を知るとは具体的に何を指すのか意味不明である。民法第二〇〇条第二項は「侵奪の事実を知つたとき」とあり、私人が暴力を以て他人の占有を奪つたときは、単にその外形的の事実だけで占有侵奪のことは容易に看取できる。この場合には侵奪者が占有すべき権原を有するか否かの判断は必要でない。しかし執行吏による明渡の執行の場合には全部「占有者の意思によらず」に占有が奪われるのであるから、外形的事実だけから見れば、執行による明渡を知つたこと即ち占有の侵奪を知つたことになるわけであるが、前記民法の規定がこのことをいつているものでないことは明かである。被告飯野は原告が執行行為によつてその占有を奪われたことは知つている。しかし、同被告は執行の違法性を知つていたものではない。執行の適法違法というような問題は、個々具体的な場合には、専門家の間でも仲々議論のある問題である。局外者の一般人としては、執行吏がその職権に基いて強制執行をすれば、適法な執行行為と判断するのは当然なことである。或は執行の際原告が執行吏に対し執行の不当なことを詰つたことを被告飯野が知つていたことを以て「執行の違法」を知つていた趣旨であるとすれば、被告はこの事実を否認する。本件においては仮に執行が違法であり、占有侵奪になるとすれば、侵奪者は被告会社であり、同被告から賃貸借契約によつて室の引渡を受けた被告飯野は侵奪の事実を知らない特定承継人であるから、同被告に対する明渡の請求は不当である。

二、原告は被告会社に対し四八、一二五円、被告両名に対し一ケ月一、八九〇円の割合による金員の支払を求めているが、その請求は失当である。

(一)  右四八、一二五円のうち三〇、五〇〇円は原告が望月安久夫に対して好意的に支払つたと称する金額であり、仮にその支払が真実としても、本件のような明渡に伴つて通常生ずべき損害の額ではない。六月三日から八月二日まで二ケ月の間に三〇、五〇〇円を支払つたとすると一日五〇〇円の割合となる。一ケ月三六〇円の公定賃料の室に同居させてもらつて、一日五〇〇円の割合の謝礼を出したとしても、それは原告の自業自得であつて、その損害の填補を被告会社に求め得べきものではない。即ち法律的にいえば、右はいわゆる特別事情による損害であり、被告会社においてこの損害の発生を予見し又は予見得べかりしものではない。

(二)  次に原告は本件室の明渡の結果三芳宗重郎からアパートの六畳一室を権利金二三、五〇〇円を支払つて賃借するに至つたので六畳と四畳半との比率により右権利金の内金一七、六二五円の損害賠償を請求するという。しかし被告会社が請求した一ケ月七〇〇円の賃料が公定違反であるといつて断固拒否した原告が、法の禁止している権利金を真実支払つたかどうか甚だ疑わしいといわなければならない。仮にその支払の事実があつたとしても、これはいわゆる不法原因給付であり、法の保護を求められない性質のものであるから当然自らの責任において処理すべきものである。この点は法律に直接の明文はないが、不法行為又は債務不履行による損害賠償を請求するに当り、その損害が積極的に蒙つた損害であつても、または得べかりし利益を失つた場合であつても、その損害は法の許容するところから生じたものでなければその賠償を求め得ないものと解すべきである。

(三)  右のことは原告の請求する一ケ月一、八九〇円の金員についても同様である。

原告は三芳宗重郎に一ケ月三、〇〇〇円の賃料を支払つて同人所有の六畳一室を賃借したので、六対四、五の割合による額から被告会社に支払うべき三六〇円を控除した額を、当然被告等が賠償すべきであると主張するが、右三芳所有の建物の六畳一室の一ケ月の公定賃料は五三七円である。従つてその四畳半の部分に対するものは四〇四円であり、これから三六〇円を差引けば四四円にすぎない。従つて仮に被告等において賠償責任があるとしても、その額は一ケ月四四円の割合による額までは正当であるが、これを超過する額は不当である。若し然らずして被告側の賃料についてのみ厳格に三六〇円の公定の遵守を命じ、これを超過する額を請求したため契約解除は無効であり、従つて強制執行は違法と断じながら、その違法の執行に基いて生じた損害の賠償には、公定賃料を超えて原告が支払つた額が即ち損害となるものとすれば、その不合理であること多く論ずるの要を見ないであろう。

なお原告は右三芳所有のアパートの一室も昭和三一年一二月一〇日これを明渡して、その現住所に任意移転したものである。従つて仮に被告等において原告賃借家屋の賃料と被告会社との間の賃料との差額について、その損害賠償の義務があるとしても、その範囲は前記の通りの公定賃料額を基準としたものであるべきであり、またその時期は昭和三一年一二月一〇日までの部分に限らるべきである。

理由

本件原告の請求の当否についての当裁判所の判断は次に記載の通りに訂正追加する外は、原判決の理由の説示の通りであるからこれを引用する。

一、被告会社は原告が昭和二八年一月分から昭和二九年三月分に至るまでの本件室の賃料(被告会社の値上要求をした一ケ月七〇〇円の割合に依る賃料)の支払を怠つたものとして昭和二九年四月一日原告に対し右室についての賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、これによつて右原被告間の賃貸借契約は有効に解除せられたものとして同月二三日原告主張の和解調書に執行文の付与を受け、同年六月三日執行吏に委任して原告に対し右室の明渡の強制執行をし、原告をしてこれを明渡させ、原告の右室の占有を奪つたものであることは当事者間に争いのないところであり、被告会社の原告に対する右値上した割合による賃料の請求が失当であり、従つて右契約解除の意思表示当時の本件室の賃料は一ケ月三六〇円であつて、原告はこれを被告会社の受領拒絶を理由として適法に供託しており、被告会社の右契約解除の意思表示は何等の効力をも生ずるものでなく、従つて前記和解調書の執行力ある正本に基く家屋明渡の強制執行は違法なものであつたこと、従つてまた原告は本件室につき依然として前記和解調書の契約に基く賃借権を有するものであることはすべて原判決の判断する通りであり、原審証人大木貞次の証言中原判決の事実認定に反する部分は到底採用できないところである。

二、原告は占有の奪取が強制執行の方法によつてせられた場合も、それが違法である限り占有回収によつてその回復を求め得ると主張するが、その主張の援用できないことは原判決の判断する通りである。

原告はまた被告飯野一男は本件室のいわゆる第二次の賃借人であつて、第一次の賃借人であり右の室を占有していた原告から適法にその占有の移転を受けることなくしてこれを占有しているものであるから、同被告もまた占有侵奪者であると主張するが、原審証人大木貞次の証言に被告本人飯野一男の原審並に当審供述を綜合すれば、被告飯野は被告会社が原告に対する強制執行によつて本件室の占有を取得した後、被告会社からこれを賃借してその引渡を受けたものであることが明かであるから、被告飯野を以て原告に対する直接の占有侵奪者ということのできないことはいうをまたないところであり、また被告会社の占有の取得が強制執行の方法によるものであつて、被告会社に対しても占有権に基き占有回収の方法によつては本件室の明渡を求め得ないものであること右記載の通りである以上、この被告会社から更に占有の移転を受けた被告飯野に対し、占有回収としてその明渡を求め得ないことまた固よりいうをまたないところである。

従つて占有権に基き被告等に対し本件室の明渡を求める原告の請求はいずれも失当であつて到底排斥を免れない。

三、原告は当審に至つて被告等に対して本件室の明渡を求める請求原因を追加し、第二次的に賃借権の主張をする。

(一)  原告と被告会社間の本件室の賃貸借契約が現在なお存続し、原告が依然その賃借人であることは前説示の通りである。従つて被告会社が前記の強制執行によつて原告から右室の占有を奪つて以来これを原告に引渡さないでいる以上、被告会社は賃貸借契約上の義務履行として右室を原告に明渡すべき義務があることは明かであり、従つて右義務の履行を求める原告の請求は正当である(右の室は四畳半一室であつて被告会社が被告飯野に賃貸し現在同被告がこれに居住し占有しているのであるが、現在の世間の実情からみて本件のようなアパートでは空室ができそれに移つて貰うとか、相当の移転料を支払うなど或る程度の犠牲を払つて立退いて貰い、空室にして原告に本件室を明渡すことは不可能ではない)。

(二)  原告はまた被告飯野に対しても右の賃借権に基いて本件室の明渡を請求する。しかし本件は被告会社が原告と被告飯野とに同一の室を二重に賃貸した場合であつて、原告は前の賃借人、被告飯野は後の賃借人ではあるが、同被告は被告会社が原告から本件室の占有を取得した後に、被告会社からこれを賃借してその引渡を受けたものであるから、被告会社の占有の特定承継人として占有回収としてその引渡を求められることのあるのは格別(本件にあつては原告にこの請求権もないことは前記の通りである)、後の賃借人なるの故を以て前の賃借人からその賃借家屋の明渡を求めらるべき限りではないと解するのが相当であるから、被告飯野に対する原告の本件室の明渡の請求は失当である。(仮にこれを原告主張のように対抗力の問題として解決すべきものと解するとしても、原告は被告会社の強制執行によつて本件室の占有を失つたものである。そしてたとえ、右の強制執行が違法なものであるとしても、私人の強暴による占有の侵奪によつて一時的にその占有を失つた場合等とは異なり、強制執行の結果従前の占有者がその占有を失つたとすれば、社会一般の考え方としては、最早従前の占有者にその占有はないものと受取るのが相当なのであるから、原告は前記の強制執行の結果本件室の占有を喪失し、従つて右室に対する賃借権の対抗力もこれを失つたものと認めるのが相当であろう)。

四、(一) 被告会社は原告が賃借権を有する本件室を昭和二九年六月三日強制執行の方法によつて原告の占有を奪取して以来これを原告に引渡さず、賃貸人としての義務履行を怠つているものであるから、これによつて原告の蒙る損害を賠償すべき義務があることは勿論である。

(二) 原告はまた被告飯野に対しても賃借権侵害に基く損害賠償を請求する。しかし原告がその請求原因として主張する、同被告が本件室に対する明渡の強制執行は不法であるからこれを借りないようにして貰いたい旨の原告の懇請を斥け、これを借室居住するに至つたとしても、また原告から被告会社に対する仮処分の執行に被告飯野が応じなかつたとしても、これを以て被告飯野に原告の借室権侵害の不法行為があり、その損害を賠償すべき義務があるものとは到底解し得ないところである。尤も原告本人の原審並に当審供述に本件口頭弁論の全趣旨を綜合すれば、被告会社から原告に対する前記の強制執行には種々の問題のあることは被告飯野においても原告等から聞かされ、その原告側の言い分が如何なるものであるかについては或る程度の智識を持つていたものであることが認められるのであるが、同被告はまた被告会社からもその主張を聞かされ、右の強制執行の不法なものでないことを聞かされていたものであること被告飯野一男本人の原審並に当審供述によりこれを認めるに足るのである。そして本件のような民事上の紛争について、法律専門家でない(被告飯野は印刷工である。このことは同被告本人の原審並に当審供述で明かである。)同被告が右双方の主張について的確な判断能力を持たないことは固よりその所というべきであり、国家機関である執行吏が動いての強制執行とあれば一応これを適法なものと見るのが一般であるから、本件の強制執行が不当なものであるとまでは考えなかつたという同被告本人の当審供述はこれを信用して然るべきものであろう。そうとすれば被告飯野は被告会社の本件室の占有の取得(前記の強制執行)が格別不法なものとも考えないで被告会社占有下の右室を被告会社から賃借してその引渡を受けたものであつて、またその不法を知らなかつたことについても、同被告のような立場にある者として格別過失があるものとも認められないところであり、結局同被告には原告の本件室に対する賃借権を侵害すべき故意も過失もなかつたものというべきであり、また右事情の下にあつて所有者たる被告会社から賃貸を受けて右の室を占有することにより、結果において原告の賃借権を侵害することとなるとしても、その侵害に違法性があるものとは認め難いところであつて、被告飯野が原告の本件室に対する占有権を侵害するものでないことも前記の通りであるから、右いずれの理由によつても原告の被告飯野に対する損害賠償の請求は失当であつてこれを棄却すべきである。

従つて被告飯野に対する原告の本訴請求はその当審において新たに附加された賃借権に基く明渡請求をも加え全部失当であつて、その原審以来のものを排斥した原判決は相当であつて、同被告に対する原告の本件控訴はこれを棄却すべきであり、その当審において附加せられた部分はその請求を棄却すべきものである。

五、被告会社が原告に対し賃貸借契約上の義務不履行による損害賠償義務があることは前記の通りである。そこでその損害額について検討する。

(一)  まず原告は望月安久夫に支払つた金三〇、五〇〇円を請求するのであるが、その認容し難いことは原判決の判断する通りである。

原告は右金三〇、五〇〇円中には望月の室に同居させて貰つた謝礼だけではなく、同人に本件の強制執行及び原告から被告会社に対する仮処分の執行について手伝つて貰つた謝礼も含むものと主張し、原告本人もその当審供述において「この金額の中には望月の室に同居させて貰つたことに対する礼金の外に、執行を受けたときや仮処分の断行の際に荷物を出し入れして貰つたり、或いは証人として裁判所に出頭して貰つたりなど、骨折つて貰つた費用も含まれている」と述べるのであつて、仮に原告の気持が右原告本人の供述の通りであつたとしても、右金員が望月から要求せられてその支払がせられたものではなく、同人からは何等の申出もなかつたのに原告が任意にその支払をしたものであること原判決の認定する通りであり、また原告が同居させて貰つたという望月安久夫の部屋は原告と同様望月が被告会社から賃借していた青葉荘アパートの六畳又は四畳半の一室であつて、その賃料は一ケ月六畳の方は四七〇円、四畳半の方は三六〇円であり、被告会社が値上を要求した増額賃料の計算で行くとしても九〇〇円と七〇〇円とにすぎないものであつたこと成立に争いのない甲第一号証に原告本人の原審供述を綜合してこれを認めるに足るのであるのに、原告は右望月の借室に同居させて貰つた謝礼として一日金五〇〇円の割合で礼金を支払つたというのであるから、右金員をそのまま被告会社の債務不履行による損害(相当因果関係ある損害)と認め難いことは勿論、その同居の態様についても、ただ同居させて貰つたということだけで、その同居に対しどの程度の謝礼をするのを相当とするかを判断すべきその他の事情については何等これを認むべき資料がないのであり、また前記望月の手伝といつても、望月が果してどの程度の労力を提供したものかについても前記原告本人の供述だけであつて、その労力の提供に対する謝礼を幾何と定めるのを相当とするかを判断するに足る資料もこれを見出し難いので、結局原告が望月に支払つた金員については、その一部についても、これを被告会社の債務不履行に起因する損害としてその金額を確定すべき資料がないというべきであり、原告のこの部分の請求は全部これを認容するに由がない。

(二)  次に原告は昭和二九年八月三日以降三芳宗重郎所有の有楽荘アパートの六畳一室を賃借するについて支出した権利金二三、五〇〇円の内その四畳半に対する部分の一七、六二五円の支払と、その賃料一ケ月三、〇〇〇円中の右同様の部分に対するもの二、二五〇円から被告会社よりの賃借家屋について当然支払うことを要する三六〇円を控除した一ケ月一、八九〇円の割合による金員を本件室の明渡済に至るまで請求する。そして原告が被告会社の強制執行により本件室の立退きを余儀なくせられ、巳むなく一時前記の望月方に同居した後、昭和二九年八月三日以降は右原告主張の有楽荘アパートの一室を権利金二三、五〇〇円を支払い、賃料一ケ月三、〇〇〇円の定めで賃借し、これに居住するに至つたことは原判決の認定する通りであり、原告が右アパートの一室に昭和三一年一二月一二日まで居住し同日まで右の割合による賃料の支払をしたものであることは原告本人の当審供述に弁論の全趣旨を綜合してこれを認めることができる。(成立に争いのない乙第一〇号証の住民票によれば、原告が右有楽荘アパートを転出して現住所に転居した日は昭和三一年一二月一〇日とせられているが、住民登録における転出入月日の記載は必ずしも現実のそれと合致するものとは限らないものと考えられるので、右転出入の月日については原告本人の当審供述を採用した。)

被告会社は右原告が三芳宗重郎に支払つた権利金は地代家賃統制令がその授受を禁ずるところであり、賃料も一ケ月五三七円がその統制賃料であるから、これを四畳半にあてはめた部分四〇四円を超過する部分も法の禁止に違反して原告が勝手に支払つたものであつて、法の保護に値しないものであり、被告会社に対する損害賠償としてもこれを請求できないものと抗争し、右金三、〇〇〇円の賃料が統制賃料額を超過することは原告も明かに争わない。しかし右の権利金及び賃料は、原告が被告会社からの不法な強制執行に会つて自己及びその家族の住居を失い、これを他に獲得するために真に巳むを得ずして支出した金員であつて、この支払が法の禁止に違反する違法なものであることはこれを否み得ないにしても、当時の現実の社会情勢においては、特別の事情のない限り右程度の権利金と家賃とを支払うのでなければ一家の住居とすべき家屋を入手できないこともまた事実である。そしてこの否定し得ない現実の事実を前提として考える限り、右のようにして原告の支払つた権利金及び統制超過の賃料も、被告会社の債務不履行により原告が支出せざるを得なかつたものとして、その支払による損害と被告会社の債務不履行との間には相当因果の関係があるものと認めるのが相当であつて、被告会社にその賠償責任があるものと認むべきである。被告会社は右のような違法行為に基く損害は損害賠償請求の点においても法の保護に値しないと主張するが、住居獲得のため真に巳むなくこの違法をせざるを得なかつた原告と、原告をこの窮地に追込み、敢て違法をせざるを得ざるに至らしめた被告会社との関係においては、その非は固より被告会社にあり、現実の行為は原告のするところであつても、その違法の責任はむしろ被告会社においてこれを負担するのを相当とするのであつて、この両者の関係においては、この際原告を保護することこそ、むしろ法の精神に合致するものというべきであろう。

ただ問題は右原告の支払つた権利金等は不法原因給付としても、右事情の下にあつてはその不法は賃貸人たる三芳宗重郎の側だけにあつて原告の側にはなく、従つて原告はその支払つた権利金及び統制超過分の賃料額はこれを同人から取戻し得る関係にあり、この部分の支払額はこれを原告の蒙つた損害ということはできないのではないかとの点である。ことを形式的にいえば、原告は現実には右の権利金等を支出していても、法律的には、これに相応する不当利得の返還請求権があつて、この債権を有する限り結局損害を蒙らないともいえるであろう。しかし原告が現実に右の債権を行使して権利金等の返還を受けた場合は別であるが、この場合とただその債権を持つているにすぎない場合とを同視してはならない。債権はただその債務者に対する権利にすぎないのであり、債務者の無資力その他の事情でその現実の行使が困難な場合も少くない。本件の権利金その他の返還請求権の場合についてこれを考えても、右の権利金等は原告が、住居獲得のための窮地にあつたためとはいえ、一般の例にならつて、賃貸人との間に任意契約して、その契約に基く義務の履行として任意にその支払をしたものであり、この契約に基く支払金はこれが一般に行われているものだけに、またそれが自己の約束を守るためにせられたものだけに、それが法律上返還を求め得るものであるか否かは別として、世上一般においては、他の一般の債務とは違つて、債務者である家主が進んでこれを返還しないのはもちろん、借家人もその返還を求めるものは稀であり、従つて原告だけにその返還請求権の行使を期待することは無理であつて、所詮難きを求むるものといわざるを得ない性質のものである。従つて本件の損害額は原告が現実に前記の金員を三芳に支払つているものである以上、これを実質的に観察して、有名無実ともいうべき右債権の存否はこれを問題とせずして原告が現実に三芳に支払つた時にその金額に相当する損害を被むつたとみるのが社会的観念に適し、従つてその金額を基準としてこれを算定すべきであつて、もしも、後日家主から返還を受ければ、一旦被むつた損害がこれによつて回復されるに至つたものと考えるのが相当である(右のように法律的には請求権の競合が生ずる場合でも、経済的にみて必ずしも損害の発生を否定しうるわけではない)。

そうすれば被告会社は原告が三芳に支払つた権利金中の一七、六二五円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明かな昭和二九年一〇月二〇日以降完済に至るまで年五分の割合による損害金と、原告が三芳所有家屋を賃借した日である昭和二九年八月三日から原告が右家屋から転出した昭和三一年一二月一二日に至るまで原告主張通りの一ケ月金一、八九〇円の割合による金員を、その債務不履行に基く損害の賠償として原告に支払うべき義務があることは明かであり、その支払を求める原告の請求は正当である。

原告はなお右一ケ月金一、八九〇円の割合による金員を被告会社が本件室を原告に明渡すに至るまで請求する。しかし原告が前記の三芳所有家屋を昭和三一年一二月一二日に立退いて現住所に転出したことは前認定の通りであつて、しかも原告の現住所は葛飾区青戸町一丁目一、〇一九番地所在の公団住宅であり、その間取りは六畳、四畳半の各和室と約四畳半位の台所兼居間の洋室、便所及び浴室であつて、その賃料は固定資産税を除いて一ケ月四、八五〇円であること原告本人の当審供述に徴して明かなところである。従つて原告の現住所は本件室のアパートの四畳半一室、また従前賃借の三芳所有アパートの六畳一室に比べ遙かに広く、また便利であることは明かであつて、このことに原告の家族が親子五人であること(この事実は原告本人の原審供述によつてこれを認める。)を合せ考えれば、原告本人はその当審供述において、現住所に移転したのは三芳所有家屋の賃借期間が二年であり、その期限が来たためと説明するのではあるが、その転出の事情は家族数、経済関係その他の家庭の事情によるものと認めるのが相当であり、六畳の間にいてさえ右のように転出した原告としては、本件四畳半の間には到底居住するに堪えないものであり、若し原告が現住所への転出の当時まで本件室に居住したとしても、右の転出時には当然本件室をも明渡してこれを使用せざるに至るものと見るのが相当である。従つて原告が現在所に移転して後は最早原告は本件室の不使用による損害はこれを蒙らないと認めて然るべきであり、この部分についての原告の損害賠償の請求はこれを棄却すべきである。

六、よつて原告の被告飯野一男に対する本件控訴及び当審における新たな請求はいずれもこれを棄却し、原告と被告大木合資会社間の原判決はこれを主文第二項記載の通り変更することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九五条、第九六条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文の通り判決する。

(裁判官 薄根正男 元岡道雄 山下朝一)

目録

東京都葛飾区青戸町四丁目八五九番地所在

木造瓦葺二階建家屋一棟(青葉荘アパート)

建坪 五四坪二合

二階 五二坪五合

のうち二階中央廊下東側

第九号室(四畳半) 一室

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